子どもたち一人ひとりの可能性を引き出し、自ら考え、他者と協働しながら未来を切り拓く力を育む。「未来スクール」はそんな学びのあり方を探り続けています。今回は和歌山市立城東中学校の清水歩校長先生に、未来スクールとの出会いと、その実践を支える考え方、そしてこれからの教育に託す思いまでともに掘り下げていく対談(前編)をお届けします。
子どもたちにとって必要な出会いとは
山本:清水先生は、未来スクールの黎明期から私たちの活動開催にご尽力くださっています。今日は、先生が未来スクールに感じて下さっている価値や、子どもたちとの接し方について、ぜひお話を聞かせてください。
清水:学校というところは、毎日授業があります。もちろん勉強は大事です。ただ、授業は勉強だけをしているわけではありません。授業には、仲間と一緒に課題に挑むという重要な場面があります。自分と他者との関係、自分と他者との世界での経験が大切です。僕たちは子どもの世界を少しずつ広げていかなければなりません。また僕たちは子どもが育っていくうえで、学校の中だけでは経験できないこともあるとわかっています。必要なのは学校の外とつながるきっかけです。子どもが普段接する大人は、どうしてもご家族や学校の先生など身近な範囲に限られがちです。未来スクールにはいろいろな仕事をして、いろいろな生き方をしている職業先生がいます。そういう人たちと出会うことは、子どもの世界を広げるには大きな意味があると思うんです。
山本: 未来スクールが、まだ知らなかった世界や、新しい生き方に出会う大きな入口になっているということですね。私たちも、一度きりのイベントとしてではなく、その出会いをきっかけに、何かを調べてみたり、別のことに興味を持ったり、子どもたちの心に、新しい関心が芽生えたらいいなと思っています。
清水:職場体験は、実際にした仕事、その体験が中心です。一方、未来スクールでは、もう少し幅広く「こんな世界もあるんだ」ということを知ることができる。自分がまだ知らない世界があるということを知ります。自分が知らないところにも、いろいろな可能性があるかもしれない。そういうことを、進路を考える前に感じてもいいなと思うんです。僕は子どもたちに、あまり理屈で伝えようとはしません。感じたことは、子どもたちのカラダに沁み入っていくと思っています。
教育の原点にあった、プロジェクトアドベンチャー
山本:先生が子どもたちの育ちについて、そのような考えを持つようになった背景には、どんなご経験があったのでしょうか。
清水:僕は大学を出て、最初は音楽と保健体育、翌年は社会と数学の講師をしました。その後、和歌山県の一般行政職の青少年指導員という立場で、串本町にある「潮岬青年の家(現 潮岬青少年の家)」に3年間勤務しました。青年の家では、職員が企画して、子どもたちなど参加者に様々な体験をしてもらう主催事業を行います。僕は自分が担当する主催事業をどんなものにするか、悩み続ける毎日でした。
当時、比較的よく行われていたレクリエーションの多くには、誰かの失敗や、うまくできなかったりすることをって楽しむといったものもあって、違和感を感じていました。「これを楽しいというのは違うんじゃないか。もっと別に有意義な経験ができるものはないだろうか」。何かないかと探しに探して出会ったのがプロジェクトアドベンチャーでした。
山本:プロジェクトアドベンチャーとは、一体どんな取り組みでしょうか?

清水:プロジェクトアドベンチャーは、元々は凶悪犯罪を犯してしまった子どもたちの更生プログラムとしてアメリカで誕生しました。このプロジェクトでは仲間と協力することで信頼関係を築き、課題を乗り越えていくことを自然の中で体験します。大切なのは、ただ課題をクリアすることではありません。安心して参加できること、人を信頼すること、相手の気持ちを考えることなどを体験を通して学んでいくのです。
例えば、8人のチームで4mの高い壁を乗り越える、全員が安全に壁の向こう側へいくというプロジェクトがあります。誰が先に行くのか、どうやってチームのみんなが支え合いながら越えていくのか。自分のことだけを考えていても、うまくいきません。最初は遠慮したり、うまくいかなくて意見がぶつかることもある。壁だけではなく、互いのギクシャクした関係性を乗り越えなければなりません。プロジェクトを終えたあとチームで振り返り、自分はそのときどうするべきだったのか、相手にどう接すればよかったのかなどを考えるんです。そうして初めて、言葉だけではない、カラダで感じる信頼や働に気づく。僕には、このプロジェクトアドベンチャーとの出会いと経験が子どもたちと関わるうえでの大きな柱になったと思っています。
教えるのではなく、子どもが自分で考えられるように
山本:子どもたち自身が経験を通して信頼できる関係を構築するのですね。
清水:僕はこのプロジェクトアドベンチャーでファシリテーターという存在に出会いました。33年前です。プロジェクトの課題を示し、取り組んでいる姿を観察し、振り返りで支援する。ファシリテーターは答えを与えるのではなく、子どもたちに気づきを促すような存在です。参加者としてカラダで感じたことやファシリテーターの経験を得て3年後に教諭として学校に戻りました。
僕はいわゆる「指導する」というタイプではないんです。指示して、子どもたちを教えるというのは「学び」ではないと思っています。子どもたちが自分で考え、仲間と関わりながら、自分たちで何かにたどりつく。そのためには、大人はどう関わるのかが問われます。
ただ、当時、私の身の回りの学校教育の世界で、教育行政も含めてこのような考え方はなかなか理解されませんでした。授業は教師が事前に作成した指導案どおりに進めるものだという考え方が強かったし、「子どもが学ぶ」ではなく「教師が教える」のが当たり前だったんです。でも子どもは生きていますから。とにかく計画どおりに進めるということよりも、目の前の子どもがどんな表情をしているか、何を感じているかを見取りながら進めていくことのほうが大切だと思うんです。教育には「ああすれば、こうなる」といったマニュアルはありませんから。
大人が気をつけることは「子どもを傷つけないこと」
山本:その考え方は、今の学校での子どもたちとの関わりにもつながっているのでしょうか。
清水:もちろんです。大人は、つい大人のルールや基準で子どもができていないことに着目して「ここができていないから、できるようにしなさい」と、「いまここにいるその子」を認めず、否定的な言葉をかけがちです。でも子どもはまだまだ成熟に向かっている途中。できないことがあるのは当たり前なんです。それを大人の基準で評価してしまうと、子どもを傷つけることにもなります。
かくいう僕も、若い頃は子どもたちにとにかく愛情を注げばいいと思っていたんですよ。でも愛していても傷つけることがあるということを知りました。世の中の多くの人は愛するという感情が感情のランクで言うと最も上位にあると思っています。子を想う親の立場で考えてみましょう。親の心理としては「あなたを愛してるから、心配しているのよ」となります。それが「あなたを愛しているから、私は自分を犠牲にしてでもあなたのために尽くしている」という感覚になってくると子どもには負担になってしまいます。

山本:行きすぎると家が安心できる場所ではなくなりますね。
清水:でも親は悪くないんですよ。だって子どもを愛してるんですから。誰も悪くない。なのにみんなにとってとても辛いということになってきます。だから子どもと接する上で大切にすべきことは愛することよりも「傷つけないこと」です。子どもはとてもやわらかくもろい、傷つきやすいということを知っておく必要があります。例えば、何か問題のある行動が見られたときも、ただ叱ってやめさせればいいわけではありません。その行動の意味は何なのか、その行動をすることで何を捨て何を得ようとしているのか、この子にどんな支援が必要なのか。そこを考えなければいけない。子どもに訊ねても子どもはわかりません。大人が適切に見取り、気づきを促す。子どもたちを、こちらの思いどおりにコントロールするのではなく、自分で考え、成熟できるように支える、ファシリテートするんです。
山本:子どもを「傷つけないこと」がまず大切なんですね。子どもと接する上でいつも胸に置いておきたい言葉です。
(後編に続く)